敦煌で植林活動を続ける女性が日本で決断したこと 7 n9 F4 L4 n1 S# G$ Q
地道なNPO活動が人々の環境意識向上をもたらした
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绿化作業が進む中国・敦煌の植林場
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ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠など、巨大砂漠が大きな脅威となっている中国西部。砂漠の緑化事業などが実を結び、拡大傾向にあった砂漠地域の面積は、近年縮小傾向に反転した。筆者が実際に砂漠の都市敦煌を訪問し、現地で行われている砂漠緑化などの取り組みをレポートする。(JBpress)(加藤勇樹:香港企業Find Asia 企業コンサルタント) 7 u% a! K2 m& O
ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠など、巨大砂漠が大きな脅威となっている中国西部。筆者が実際に現地を訪問し、砂漠の緑化を進めたり、新たな産業を生み出したりする取り組みの現状を前回お伝えしました。
& x. A; c& u; L 後編では、砂漠緑化の中心である植林について、実際の現場をレポートします。後半に登場する女性は、NPOを組織して植林活動を長年行っているのですが、実は日本と深い関わりがある方でもあるのです。さらに、近年変わりつつある、中国の環境意識についてもお伝えします。 * m' r% i! D' k: `3 h
砂漠に林を作るまでの複雑な作業 ; Q) A- a$ {2 D, |
筆者は以前モンゴルなどの草原地帯を旅したことがありますが、今回目にした大砂漠はそれと全く違う印象を持ちました。動物の命の息吹を感じる草原とは違い、砂漠は静寂に包まれ静止した世界のようでした。 緑地や草原が砂漠化するきっかけとしては、家畜をはじめとする動物による草地の消費、天候変化による降雨量や雪解け水の減少、さらには人間による過剰な開発などがあります。第2段階として、風によって砂や砂利が移動することで、砂漠が大きく広がっていきます。砂漠は生き物のように位置を変え、巨体をより一層広げていきます。
8 N4 e8 J2 Y1 Y4 b; w. T+ T+ ~ 筆者が調査に訪れた敦煌近郊の库木塔格沙漠(クムタガ砂漠、次の写真)も典型的な移動する砂漠で、現在でも毎年1kmぐらい移動しています。過去には1年で100km近く移動した記録も残っています。 ( \4 V5 o% U; Z& O% C2 E& O
次第に西へ移動してきたクムタガ砂漠(以下、特記のない写真は筆者撮影)
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* T: R% x0 w8 w この砂漠の移動を食い止める第一歩が、灌木や草を砂漠に植える工程です。
; ~ g5 O" J; W2 b8 m 砂漠を大きく分けると、砂利や石が混ざっている礫質砂漠と、砂だけで構成される砂砂漠の2種類があり、緑化活動もそれにあわせた対応策が必要です。 砂漠に人力で穴を掘り、一束ずつ苗木や苗草を埋め込んでいくのは根気がいる作業です。強い生命力をもった植物が根を張ることで、石や砂が舞い飛ぶことを防ぎ、砂漠化防止の第一歩である「土壌の固定化」が成し遂げられるのです。
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1 H2 x* o( ]; U; ]9 P( M9 j7 Y b& O「治沙」と呼ぶ初期の工程では、このような区画に植物を集約して植えてい
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土壌の固定化が進んだところで、ようやく楡の木などの植林が始まります。この工程になると一層複雑な作業が必要になります。苗木を育て上げ、木を林の規模にまで成長させるため、植林後も定期的な水やりや継続した世話が必要なのです。人間の管理を減らせるようになるまでには5年以上がかかります。 中国には「前人栽树,后人乘凉」(先人が木を植えることで、後世の人々が木陰で休める)ということわざがあります。今を生きる人たちが環境を意識し取り組むことが、緑化の核心といえるでしょう。
& j: n" _1 K5 T1 B5 Y植林の結果、ブドウ畑や並木道に生まれ変わった敦煌市の風景& G% y( Q& ^& y h4 k
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「大地の母」と呼ばれるようになったきっかけ 9 P9 C6 p$ M( G1 @
NPO「緑色生命」(Green Life of China)は20年以上にわたり植林をはじめとする砂漠化問題に取り組んできました。「大地の母」と呼ばれる代表の易解放さんは、私財をなげうって活動をされていて、全国から広く尊敬を集めています。約2万7000平方キロメートルにすでに800万本もの植樹をしており、10人ほどのボランティアで構成される、民間団体の緑色生命としては驚くべき活動実績といえるでしょう。 筆者は敦煌の植林計画地域に実際に足を運び、緑色生命代表の易さんにお話をうかがいました。 7 t1 ]& h) \" N6 C6 S+ L
易さんが植林を進める敦煌の陽関植林場。緑化作業はまず道路を建設するところから始める $ G/ \/ [) L& t1 y' s, Z M2 ~' c
) J5 j9 E0 @$ K8 B6 b活動を始めたのは53歳の時* `* ~- c$ F" f* ~
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――今の活動を始めた経緯を教えていただけますか。, i! G, S) K, C3 w' _
易さん 私が現在の道に足を踏み入れたのは、53歳の時です。もともと私は環境活動にかかわりを持たない日々を過ごしていました。 今から約20年前、当時大学生だった私の息子が事故により日本で命を落としてしまったのです。私も息子も10年以上日本で生活していました。息子は早くから環境問題に興味をもっており、大学卒業を間近に控えていた時から、内モンゴルの砂漠化を食い止めたい、中国の緑を増やす活動に関わりたいと話していました。 ――息子さんの夢が始まりだったのですね。 易さん 息子を失った後、私の人生から輝きが消えたような日々が続きました。そんななか、息子の遺志を継ぎたいという気持ちになり、日本での職を辞したうえで、上海の自宅を売り払い、夫と一緒に今の道に足を踏み入れました。今から考えても大きな決断でした。 ――どのように活動をはじめたのですか。 易さん 内モンゴルの砂漠から植林活動を始めましたが、私も夫も活動資金や専門知識がなく、しかもまだまだ中国ではNPOという存在が認知されていない時代でした。日本時代の友人や知人から支援をいただきながら、手探りでの試みを続けました。 私財を投じながら行ってきた緑色生命の活動ですが、2010年代以降、私たちの活動への理解が社会全体で大きく進んできました。中国における環境問題への認知が進んだことに加え、多くの企業や若い中国人が支持をしてくださるようになったのです。 政府への植林計画の認可要請、現地の住民との話し合い、さらには一緒に植林活動に参加してくれるボランティアへの呼びかけなど、目が回るような忙しい日々が今も続いています。私自身故郷である上海と敦煌、さらには中国各地を日々飛び回る毎日になりました。 ( M: [" c3 C" D! |4 U5 L/ z
環境問題への意識が変わってきた
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- s$ D' j! T2 [* ]* e& l( q 自身を専門家ではなく、緑化運動の象徴だという易さん。さまざまな人々が植林に参加している(写真:易さん提供)
3 q9 j# K3 u: l" T9 c ―当初とは状況が変わってきたのですね。 易さん 今では、社会貢献という形で100万元(約1800万円)の寄付をしてくださる企業もあります。若い方たちの中にはエコツアーや社会活動で植林現場に来て下さる方も増えており、300人以上の方が来てくれることも珍しくありません。5歳の子供から87歳の方まで、学校の生徒から各地の企業人まで,植林活動に参加する方は何万人という単位で増えてきました。 特に敦煌は観光資源が豊かで、観光旅行やウォーキングに併せて植林に参加される方も多いです。砂漠の徒歩横断旅行の参加者が植林現場に来てくれるなど、都市部の若者たちの環境問題への意識度向上は驚くべきものがあります。小学生ほどの子供がお小遣いをためて、「植林に使ってください」と言ってくれた時はとてもうれしかったです。 6 X! l* U2 ^+ I M2 ^/ k
" c" c5 \4 e8 M: J# l" v支援企業の社名が刻まれた石碑
/ }* @% ^/ o' `0 Z& Q% \ ――活動を続けていくのに大事なことはなんでしょうか。 易さん さまざまな形で広がってきた私たちの活動ですが、一番重要なのは地元の方との連携です。植林に必要なインフラの開発、苗木の育成、さらには植林後の緑地への定期的な水やりのためには、現地の方の細やかな対応が必要なのです。自治体だけではなく、農家の方といったさまざまな人たちと連結してこそ、緑地を拡大できるのです。
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植林に必要な土壌維持や水源の確保などは、地方自治体や住民との密な交流が不可欠
* o9 j% ^& O5 Q# A- v# {3 Q. O# x日本のような緑あふれる大地に
* S3 l7 W! k( j- u' P ――今後、緑地の回復は広がっていきそうですね。 易さん はい、そのとおりです。砂漠化の防止や緑地の増加では中国やほかの国も努力を重ねていますが、その一方で変えることができない事実もあります。人間は自然の力を超えられないのです。緑地の増加には最終的に水資源が重要で、私たちの植林もかつてオアシスや緑地だった場所に緑を回復させているのが中心となっています。太古の昔から砂漠だった地域そのものを変えることはまだまだ難しいといえるでしょう。 ――易さんの活動は世界からも注目を集めそうですね。 易さん この活動には日本やシンガポールなどほかの国々の方も助けてくださいました。特に私が日本で見てきたことや体験したことは、活動の原動力の一つともいえます。 日本は緑化率が全土の7割。一方中国は3割程度です。日本は森林や緑地に恵まれた国です。私は中国の大地を日本のように緑あふれた大地にして、子供や孫世代に残すと心に決めて活動に取り組んでいます。
# h& g' Z6 W# L& H5 d5 g# j 私自身もそうですが、中国と日本は隣国で長く交流を続けてきました。砂漠の緑地化など、中国の変化をぜひ日本の皆さん、とくに若い方に知ってもらいたいのです。そして日本の美しさも再認識してほしいのです。 + j2 n% H) l4 a/ w' n
! x8 [0 |+ a3 X, B 筆者の取材にあわせ、上海から敦煌まで来てくれた易さん。環境問題を提起することを何よりも重視している
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# V) }; ^2 z" i6 [译文如下 继续在敦煌植树造林是她早在日本就做出的决断 脚踏实地的NPO活动提高了人们的环保意识 王玲珍译 2021.10.17 3 ]9 n- l2 ^3 s+ f
图片1. 绿化工作推进中的中国·敦煌植树林场
9 t& K* n9 H9 w7 b/ O2 j 一直以来,中国西部承受着包括戈壁沙漠、塔克拉玛干沙漠等巨大沙漠的严重威胁。然而,随着沙漠绿化事业的不断推进,如今已取得了实际性的成果。长年呈扩大倾向的沙漠化面积,近年来已逆转成缩小倾向。笔者实际走访了沙漠城市敦煌,并报道了当地开展的沙漠绿化等活动。 (加藤勇树:香港企业Find Asid企业顾问)
/ S( X% ^# `8 T 中国西部,包括戈壁沙漠、塔克拉玛干沙漠等巨大沙漠的威胁很大。笔者曾实际走访了当地,上次还对沙漠绿化的推进、新产业的导入等现状作了介绍。 绿色开始回到曾被沙漠肆虐威胁的中国敦煌 # ?6 f/ ~+ v0 ?% w
在下篇文章中,将在实际现场围绕植树造林这一沙漠绿化的中心进行报道。而在后半部分登场的女性是NPO的组织者,长年进行着植树造林活动,而这位女性其实和日本又有着很深的关系。此外,我们还将介绍近年来环保意识不断变化的中国。 ) [& x6 K$ Z0 J& e" O& @
在沙漠中造林的复杂工程 - }0 H5 Y! t- v* \
笔者以前曾在蒙古等地的草原地带旅游过,但这次印入眼帘的大沙漠是一种完全不同的印象。它不同于能感受动物生命气息的草原,沙漠就像寂静笼罩下的静止世界。 造成绿地和草原沙漠化的契机首先是家畜的养殖,动物对草饲料的消耗、气候变化引起的降雨量以及雪水的减少,更甚的是由于人类过度开发等。而造成绿地和草原沙漠化的第二阶段,则是沙子和砂砾在风的作用下移动,使沙漠大幅蔓延。沙漠就像一条疯狂的巨龙,随着位置的改变不断扩张着它的肢体。 笔者调查走访敦煌近郊的库木塔格沙漠(下一张照片是库木塔格沙漠)也是典型的移动沙漠,如今还每年移动一公里。在过去,还有过一年移动100公里的记录。
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/ b& g: x$ i ^: N; L! @5 [3 u: D7 a图片2. 逐渐向西移动的库姆塔加沙漠(以下无特别记载的照片为笔者拍摄)
6 V. D. C1 ^7 M# j- [9 W6 |2 J5 i阻止这种沙漠移动的第一步是将灌木和草种植在沙漠中。 # w7 U0 |* x# s* j( o# M- N% q; m
沙漠大致可分为两种类型,由砂石和石头混合的砾质沙漠和只由单一的沙子构成的沙漠,为此绿化活动也需要有相应的对策。 在沙漠里用人力挖洞,然后一束束地植入苗木和苗草,这是一项需要有很大耐心的作业。依靠具有强大生命力的植物扎根,防止了石头和沙子的飞舞。从而实现治理沙漠化第一步中的“土壤的固定化”。
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1 j6 y3 Z6 b+ C) j7 `5 R图片3. 在被称为“治沙”的初期工序中,以这种区域形式汇集植物进行种植
& l3 z3 i+ ]0 T d# I 随着土壤的固定化,榆树等植树造林终于能开始了。在这个过程中,需要更复杂的工作程序。为培育苗木,使树木成长形成至树林的规模,需要定期浇水和持续照料。而真正可以减少人类管理了,至少需要5年以上的时间。 中国有句谚语:“前人栽树,后人乘凉”。如今活在当下的人们能意识到环保的重要性,可以说是绿化的核心力量吧! " c# o$ o' E) V4 F8 D
图片4. 看!植树造林带来的变化:葡萄园和林荫道成了敦煌市亮丽的风景。
! L; `& s) D/ J, B& z) W被称为“大地妈妈”的契机 % V, ?1 @0 ?" V; ~
20多年来,NPO绿色生命一直致力于以植树造林为代表的治理荒漠化问题。被誉为“大地妈妈”的易解放理事长,这散尽家财的植树活动,赢得了全国上下广泛的推崇和响应。约2万7000平方公里已植800万棵树,一个只有10人左右的民间志愿者团体却做出了如此惊人的活动成绩。 为此,笔者亲自前往敦煌植树造林规划区,采访了易解放绿色生命理事长。
& c0 J; u" Y9 K% O, K* E图片5. 易理事长带领实施的敦煌阳关林场植树基地。绿化工作首先从建设道路开始。 : x5 O% N# p0 f; {5 T4 E8 Y+ B, I4 S
—能告诉我,您开始植树造林活动的经过吗? 易理事长 我53岁的时候,踏上了现在的道路。本来我过着与环境活动无关的日子。距今约20年前,当时还是大学生的儿子因事故在日本失去了生命。那时,我和儿子都在日本已生活了十多年。儿子很早就对环境问题很感兴趣,在大学即将毕业的时候就说过,他想参与遏制内蒙古荒漠化的中国绿化活动。 - z: n' h; p) w9 Q1 D' ?- ?) P
— 您儿子的梦想开始了吧!
5 ~9 Q' M j- N- ]# m! |; [易理事长 失去儿子之后,我在人生昏暗的低谷中持续了很长一段日子。在那种情况下,我有了想继承儿子遗志的心情。在辞去日本工作之后,又卖掉了上海的自家住宅,和丈夫一起踏上了现在的道路。即使现再思考这一问题,那也是很大的决断。 — 您是如何开始活动的?
3 H& [3 U4 _) L. z5 j4 h# K; R易理事长 植树造林活动始于内蒙古沙漠,但我和丈夫都没有活动资金和专业知识,而且那时候的中国还处于对NPO的存在还未认知的时代。在日本的朋友和熟人的支持下,我继续摸索尝试着。 绿色生命的植树活动是在投入私人财产的同时进行的。2010年以后,整个社会对我们活动的理解有了很大的进步。在中国随着对环境问题的认知不断加深,植树活动还得到了许多企业和中国年轻人的支持。 向政府请求批准植树造林计划、与当地居民进行协商对话、再公布招募书,呼吁志愿者共同参加植树造林活动等。忙碌的日子至今还在持续着,家乡上海和敦煌,甚至每天我都在中国各地飞来飞去。
: T7 `5 g2 G7 V% g7 B/ O0 v对环境问题的意识发生了变化
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6 o1 l5 H, L- z8 n J( i; @0 A图片6. 易理事长认为自己不是专家,只是绿化运动的引领象征。各个领域的人们参加植树造林(图片由易理事长提供) — 和当初的情况发生了变化吧!
! x5 a/ L. Z& }0 V2 M6 v3 S: |+ [易理事长 现在,也有以社会贡献的形式捐款100万元(约1800万日元)的企业。在年轻人中,因为环保旅游和社会活动而来到植树基地的人也在增加,300多人来的情况也不稀奇。从5岁的孩子到87岁的人,从学校的学生到各地的企业人员,参加植树活动的人以几万人为单位的增加了。 特别是敦煌旅游资源丰富,也有很多人在观光旅和散步的同时参加植树造林。比如徒步穿越沙漠的旅行者来植树基地参与活动等,城市年轻人对于环境问题的意识提高令人惊喜。像小学生这样的孩子积攒了零花钱,对我说“请用在植树上”的时候,我非常高兴。
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' u2 Q& N0 f, e— 活动持续进行的最重要的事情是什么? 7 k e1 L( }3 J
易理事长 我们的活动以各种形式传播开来,但最重要的是与当地人的合作。为开发植树造林所需的基础设施、培育树苗,以及植树后,对绿地的定期浇水,需要和当地人进行细致的应对。这不仅要和自治体沟通,还有农家中的各色人物。只有把他们联系在一起,才能扩大绿地。 ( N. z3 Y2 I! X5 W$ L- F: T, Q
图片8. 植树造林所需的土壤维持和水源的确保等,与地方自治体和居民的密切交流是不可缺少的。 像日本那样成为绿意盎然的大地 ! P% V0 \0 V% t3 } { y" ~
― 今后绿地的恢复会更加广阔吧! + c/ k' m" k7 K2 N. o
易理事长 是的,所言极是。在防止沙漠化和增加绿地方面,中国和其他国家也在不断努力。但另一方面也有无法改变的事实,那就是人类无法超越自然的力量。绿地的增加最终水资源很重要,我们的植树造林也以恢复绿洲和绿地为中心。但要改变从太古时代就一直是沙漠的地区,可以说这本身还非常艰难吧!
7 k6 \' E+ ~3 @! N6 R, N# b—易理事长的活动也受到了世界的关注。 易先生 这项活动也获得了日本和新加坡等其他国家的帮助。特别是我在日本看到的和所体会到的,可以说是活动的原动力之一。 日本绿化率占全国土的7成,但中国只有3成左右。日本是一个富有森林和绿地的国家。我决心把中国的大地变成像日本一样充满绿色,留给子孙后代而专心致力于活动。 中国和日本是长期持续交流的邻国,我自身也一直努力着。我一定要让日本百姓、特别是年轻人知道,沙漠绿地化等在中国的变化。并且也希望中国百姓对日本的美丽有一个重新认识。
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2 H6 r3 w4 ~1 Y, V. Y6 ]图9. 为了配合笔者的采访,易理事长从上海来到敦煌。因为她对提出的环境问题最重视。 - " B/ Y8 d, C5 O# n
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